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2010年 06月 16日
なんとブログを始めて
もう一年が経ってしまいました なんとなく日々のあしあととして どちらかと言えば自分のために始めたブログ。 更新回数もはじめにくらべて どんどん減っていってしまっているのに いつもあそびに来てくれる読者のみなさま ブログをつづける励みになっています、 ほんとにありがとうございます さて、なぜか南仏らしくもなく 雨の日がやけにおおい今年、 雨がおおいと読書量も増えるということで さいきん、本の虫なの。 それはさておき、海外に住んでいて 困ること、不便なことは多々あるけれど たいていはどうにかなることで、 たとえば、 日本にいたとき、ホットケーキは必ず ホットケーキミックスを使っていて フランスに来てからホットケーキが突然食べたくなったとき ホットケーキってどうやってつくるものなの? とうろたえたけれど、 所詮、粉と卵とさとうと牛乳をまぜればなんとかなるもの。 それに、いまやインターネットで検索すれば たいていの料理はつくれる世の中だし なっとうは売ってなくても たいていの和食はつくれるものね。 でも! 本だけはそうはいかない。 新聞だって、日本語の新聞なんて売ってないものね・・ 日本にすんでいたときだって 一番出没率の高いお店が本屋さんという 活字中毒者にとっては 日本語の本が買えないっていうのは けっこうつらいんです・・ かといってフランス語の本を 「たのしむ」ために読むには 私のフランス語力はいささかたよりないし ただ文章を理解するためだけに本を読む、っていうのも なんともあじけなく そもそも毎日の大半をフランス語に接して 暮らしているわけで ぶっちゃけ、あえてフランス語の本を 読みたくもないっていうのもあるけれど。 読書の醍醐味って言うのは ものがたりそのもののおもしろさにくわえて そのものがたりにある背景を どれだけ感じ取れるか 書き手のことばの意図するものを どういうふうにすくい取るか そんなところにあるわけで それにはある程度の基礎知識が 必要になってくると思うの。 わたしが日本語の本を読みたいと思うのは (そしてできるならば翻訳されたものではなく 日本人の書き手のものが好ましい) 日本語ということばのうしろに 日本の文化というか、生活や習慣がかくされているからだとも、おもうの。 たとえば、 ひらがなと漢字の関係。 「つめたい」とひらがなでかくつめたさと 「冷たい」と漢字で書くつめたさは かならずしも同じつめたさじゃなくって でもそれは私たちがずっと 日本語を母国語として使用しているからわかる違いで どう違うの、と問われたときに 説明できるたぐいのものじゃないとおもうの。 たとえば「かなしみ」と「悲しみ」では なんというかかなしみの温度がちがうというか。 そういうことはでもたぶん 外国語においても起こり得ることであって フランス語が母国語でない私にとっての フランス語で書かれた本というのは かなしさをきちんとした温度で受け止められないから 積極的に読もうとおもわないのかなーと思ったり。 そんななか最近気に入って読んでいるのは須賀敦子。 誰にでも知られている作家ではないけれど ひとたび彼女の本を読むと その文章のもつ美しい旋律にとりこになってしまい なんどでも彼女の本を読みたくなってしまう。 そんな彼女は、1929年に生まれて 1953年、パリに留学する。 今と違い、ほんの少しの興味や蓄えで だれでも外国に行ける時代では到底なく しかも20代半ばの女性がひとりで 外国で暮らして行くというのは 並大抵の努力ではできなかったことだとおもうの。 パリから帰国しても 「ガラスの靴を片いっぽうよその家に置いてきた」 ような気がして、またすぐにローマに留学にいってしまう。 そこからミラノのコルシア書店に出入りするようになり そこで夫となるペッピーノに出会い 貧しいながらも、しあわせな生活をするけれど その夫ペッピーノが病いにたおれ たった6年という短い結婚生活が終わってしまた時のことを 彼女は「ヴェネツィアの宿」という著書のなかでこう書いている。 「・・・それからまた三ヶ月経つか経たないうちにペッピーノが死んだ。 ひと月前から肋膜炎で床についていたのだったが、 その病名を知ったときから、私は昼も夜も、 坂道をブレーキのきかない自転車で転げ降りていくような彼を どうやってせきとめるか、そのことしか考えなかった。 死に抗って、死の手から彼をひきはなそうとして疲れはてている私を残して、 あの初夏の夜、もっと疲れはてた彼は、 声もかけないでひとり行ってしまった。」 最愛の人が死んだ、そのことをこんなにしずかに でも内側にあるかなしみをこれほどに表現してしまえる 彼女のつむぎだす文章は、淡々としていて まったくドラマティックでもなんでもないのに その情景を、そのまま私たちの前にふんわり広げてしまうような でもけっして押し付けがましいやり方ではなく。 梅雨時、読む本に困ったら ぜひ読んでみてください。 トリエステの坂道 (新潮文庫) ヴェネツィアの宿 応援クリックもよろしくね。 ↓ ↓ ↓
by miaousagi
| 2010-06-16 05:53
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